日本語の練習

さわったコンテンツの感想を書きます

久しぶりに

書きかけの記事を眠らせておいたら書く気が失せて放置してました。
ちゃんと文章を練習しないといよいよまずいので、ふと思ったことを軽めに書き出すところから再開してみます。

昨年末に映画「窓ぎわのトットちゃん」を見たのですが、これが思ったよりよかったという話

絵柄は少しクセがあるものの、幼いトットちゃんから見たわくわくの描写、そしてそれが戦争によって侵食されていく様子といった表現は間違いなく良かった。
決して子供だけに向けたものではない、大人も楽しめる作品だった。

※以下ネタバレあり

そんなトットちゃんの中でも、特に印象に残ったシーンがひとつあったので書き留めておく。

校長先生が他の先生を叱る場面を、トットちゃんが目撃してしまうシーン。

この校長先生はトットちゃんの前では一度も怒ることなく、常に温厚な人間として描かれていた。
これまでトットちゃんを叱ることなくむしろ耳を傾けていたし、トットちゃんのトンデモ行為にも顔色一つ変えずに会話をしていた。
転校を余儀なくされるほどの問題児だったトットちゃんにとって、ありのままの自身を受け止めてくれる唯一の大人だったと思う。

そんな校長先生が声を荒げる姿は、トットちゃんに驚きと同時に現実を突き付けてしまったのではないか。
自分のような生徒たちには誰にでも優しい一面を見せていたが、大人に対してはときに他人を叱るような厳しい面もあると気づいてしまった。大人の事情というものがあるのだと気づかされてしまった。

この場面以降の表現の変化にも注目したい。

校長先生が怒っていた理由は「クラスメイトの一人が体が小さく成長が遅れていることを先生がからかったから」(うろ覚え)だが、劇中ではこの瞬間までそのことに一切言及されていない。観客視点ではここで初めてクラスメイトの抱える「異常」に気付かされ、その後の展開からクラスメイトの小ささが描かれ始める。(立ったときに明らかに他の子供よりも小さいなど)

観客の視点はそのままトットちゃん視点でもある。
トットちゃんはここまでクラスメイトに何も違和感を持たなかったが、校長先生の話をきっかけに「異常」を意識してしまい、見え方も変わってきてしまったのではないか。
もちろん単純に子供だから違いが分かりづらいというのもあるだろうが、個人的にはそこに意図を感じずにはいられなかった。

子供が大人になっていく瞬間の表現として面白いなと思ったので書いてみました。
もし見逃しや聞き逃しだったら恥ずかしい。